落合博満の超野球学
前にブログに書いたこともあるが、私は落合が好きである。
一言で言うと、異端の天才ってことなのであるが、
ここでいう異端とは、奇をてらう、ということではない。
常識にとらわれることなく、ものの本質を捉えて、
目的のために、もっともいい方法を見出して実践している、という意味での、異端なのだ。
落合は、野球エリートではない。
高校や大学の体育会系的風土にあわず、ドロップアウトしている。
プロ入りも、20台半ば、ドラフト3位である。
もし、周囲によき理解者がいなければ、きっと今頃野球好きなただの人だった。
落合は、上意下達的な風土や、考えずに体を動かしていればいいという
前近代的な風土になじめなかったそうだ。
落合は、おきているときはずっと野球のことを考える、という意味で、誰よりも
野球と真摯に向き合ってきたそうだ。
体は動かして当たり前、むしろ、脳みそからいかに汗をかくかということに
徹底してとりこんだ。それが「オレ流」の正体だ。
偽悪的な態度で、誤解されることも多いが、それはきっと、落合なりの照れなのだとおもう。
「こんなに野球にまじめにむきあっててごめんなさい、」という。
落合は、選手としても史上最高レベルのパフォーマンスを残し、
そして、いま監督としても最高レベルの出だしをみせている。
この結果が示すものはおもい。
常識にとらわれないことは本当に大変だ。
先人がつくった枠組みをつかうのは、なんといっても楽だ。
そして、70点程度の合理性もある。
自ら体系をうちたてるには、その対象を本質的に理解しなければならない。
というわけで、落合博満の超野球学。
一般に運動は感覚とセンスであり、論理とは相容れないと思われている。
もちろん、体格や基礎的な運動能力についてはセンスで論理が介在する余地がない。
しかし、プロにはいるような選手は、そのあたりはクリアーしているはず。
そのうえで、超一流と三流をわけるのは、野球というものの本質をどこまでとらえているか、
ということの差なのではないか。。。
(実際、100回打席に立って30本ヒットをうてば一流。25本だと二流。その差はたった5本。。。)
この本を読むと、落合は、野球というものを独自の論理体系でとらえ、構築することでバッティングにおいて結果をだしていたということがわかる。
全編を通じて、バッティングを論理的かつ体系的にとらえる姿勢が、最初から最後まで貫かれている。
落合の野球に対する姿勢のように、自分の対象に体系的かつ論理的にむきあっているか、
ということを意識しながらこの本を読むことで、新たな発見がいくつもあった。
もっとも論理化しにくそうな、運動というものですら、論理でとらえている人間が勝っているという
事実は絶対に忘れてはならない。
私は、どちらかというと直感タイプで、論理性は自分の中で相対的に(とくに最近は)弱かったりするのですが、論理もたまにチューンアップする必要があるなと思わされた一冊でした。
ちなみに、いうまでもなく、落合が好きだけど、落合夫人とJr.は好きでありません(^^;



