金曜日に、弊社エンジニアである、tsuruokaプレゼンツで、
「芸者東京エンターテインメント(GTE) 開発の勝ち方」という、朝まで生セッションが開かれた。
おもしろかった。
なにより、こういうことがスタッフ主催で行われるカルチャーに、すごく感動した。
今日は、これをきっかけにかんがえたことを、メモ書き風に。
社内ブログに書く内容だけど、外部のフィードバックを期待して、こっちにかくことにする。
■tsuruokaの提案
議論そのものは、
自社&世の中の失敗プロジェクトに対する、これまでの反省を踏まえ、
エンタメコンテンツの開発工程を、どう洗練させていくか、ということについて。
tsuruokaの提言主題は、
eXtreme Programmingの考え方を
アナロジーとして、企画→仕様→開発→サービス運営の全工程をみなおそう、ということであった。
これをテーマに議論は繰り広げられた。
議論中、あるいはその後、私が考えたことをメモ書きに
(以下、ゲームとコンテンツという用語が錯綜している。ゲームとはなにか、コンテンツとはなにか、
という定義は、デジタルなメディアをつかったおもしろいもの、という定義にとどめておく。)
■プログラマの負担を和らげるには
ゲームやエンタメコンテンツ開発において、プログラマの負担は圧倒的に重くなることは通常だ。
初期のゲームは、プログラマだけでつくっていたことを考えてもそれは明白だ。
規模がおおきくなるにつれ、CG,プランナ、プログラマと分業が行われるようになった。
しかし、結局、プログラマが仕様を考える場面はまだ多く、
最終的に、ゲーム世界を形作る筆は、プログラマがもっている状況は(基本的には)変わっていない。
仕様自体の精度を上げて、プログラマの負担を減らし、作業効率をよくすることが必要。
■じゃあ、仕様精度はどうやってあげるのか。
①ゲームシステムデザインの際に、大きな循環があるようにする。新仕様を加えたい場合は、その循環のどこにあるかを常に意識する。
■循環とは、
モンスターを倒す→経験値をためる→強くなる→より強いモンスターを倒す→
・・・→ラスボスを倒す
右に歩く→敵が来る→よける/倒す→右に歩く、、みたいなこと。。。
シーマン、大玉の斎藤由多加さんのblogを添付しておく。
■ゲームツクールをつくーる、のが一番かも。
プランナがコンテンツ内で主語(自分 敵 仲間 マップ内オブジェクト)とやりたい動詞(ジャンプする、選ぶ、打つ、倒れる)などを整理し、それができるツールをエンジニアがまず作る。
この動詞の整理がすごく大事かなあとふと思う。
開発ツールを提供し、プランナはそれを用いてコンテンツを作る、ということが理想
(ここで日本語プログラミング環境 なでしこ を紹介しておく。
これは面白い!)
■「企画時点で、もう死んでいる」
tsuruokaは、エンジニア的視点から、仕様→開発というところにフォーカスした問題提起だったが、
企画屋である私からはそれに企画をたして、企画→仕様→開発というところで考えたい。
①いつの時代のいつのプロジェクトも、企画準備までの時間というのは常に不足している。
(前提として、天才企画屋 テリー伊藤の言をまつまでもなく、いつの時代も、企画屋はキリギリスであることがおおいので、必要に迫られないと動かない。
30日企画の期間あたえられると、29日あそびくらして、あとの1日で企画案を書き上げる、
という悪風も存在する。
(それはそれで否定しない。むしろ肯定だ。そもそも、ヒットするコンテンツづくりに、小学校のPTA的まじめさや学級会的えせ民主主義風土は不要なのだ。)
②どうしても売上を立てなくてはいけない状況での見切り発車的プロジェクト
③当初の企画者が降板して、引き継いだという場合に発生して企画がキメラになっている。
■そもそも、だめ企画が後フェーズにいってしまうことはなぜ発生するか
ゲームやコンテンツにフェティシズム的愛がありすぎる、あるいは
ゲームやコンテンツにまったく愛がない意思決定権者が決める場合、この手のことは生まれる。
愛がありすぎて偏愛もだめだし、愛がなさすぎても、だめだという、むずかしさがある。
ゲーム業界やエンタメ業界にも、こういう意思決定権者は実に多い。
(本人はゲームまったくしないが、完全に信頼できる眼となる補佐官をもって、その人に全面的に委任して成功していた人たちはいる。家庭用ゲームメーカの創業者世代はこのパターンが散見される。)
ちなみに、GTEでは、スタッフは、自分の嗜好とべつなところで、うけるかどうかゲームやエンタメコンテンツと向き合うことが求められている。今後採用するであろう財務担当も法務担当も、いやいやでもゲームにむきあってもらうつもりである。
(はまる必要は必ずしもない。仕事として愛がもてればそれでいいという考え。)というわけで、私はいまガンダム無双をやっている。
(私も過去のゲームにそんなに詳しいわけではありません。ファミコンのときはめちゃくちゃゲームしてたけど。。。)
■というわけで、企画をきちんとつくるためには
大きなプロジェクトで一番大切なのは、緊急度が低く、重要度の高いTo Doの処理だ。
このあたりに、みんなでわかるマイルストーンを設定し、こまめに緊急度をあげてしまうっていうのがいいのかなと。
というわけで、GTEでは
「企画スタート→当初ブレスト→ポジティブ大会→ネガティブ大会→ヒトカネ時間技術的の実現可能性テスト→ビジネスプラン→企画ビジネス両面でのマスタープラン作成」
というのを原則的にきちんと踏もうということは、先日のセッションで決まったことのひとつ。
時間がないときにどこまでどうはしょるかは検討課題。はしょらないといけないようなプロジェクトはやるべきでないという答えも存在する。
ちなみに大企業は、稟議書やプロジェクト起案書なるしくみがあるが、機能不全を起こすことが多い。
このあたりは、ケーススタディとして、ソニー本社六階 と 技術空洞を参考図書として上げておく。
・勇気がないこと(係長も賛成 課長も賛成 部長も賛成 で、あなたは?みたいな。あるいは、そもそも担当役員が、社長が、絶対やるといっているから、反対に意味がない)
■仕様開発フェーズ ディレクター(監督)なしの開発体制は可能か
恐ろしいことに、こういうプロジェクトは結構存在する。
(この論点の後ろには、優秀なディレクターは希少資源であるという事実が存在する。)
オリジナリティあるコンテンツの場合、不可能である。
模倣であれば、可能性があると考える。
3D格闘ゲームを、オープンソースで作る試みっていうのはまったく可能だと思う。
たとえば、有名なオープンソースプロジェクトは、ディレクターなしで開発が行われている。
それは、あらかじめ模倣する対象製品(既存のOSや既存のブラウザ)が存在するから、
可能なのだと思う。
場合に開発コストを下げる、機能拡張をする場合に有効なアプローチだと思っている。
というわけで、【ディレクターの役割 定義】
監督に必要な機能は、まだ見ぬおもしろさに対するマスタープランのうち、
言語(自然言語、プログラミング言語の両方)でかかれざる部分を補うこと、だという定義を私見として仮にしておく。
言語化可能な限り言語化できれば、ディレクター不在の企画は可能。
つまり、模倣企画はディレクター不在でも可能性がある。
その場合は、差別化要素がつけたし的になってしまうので、ヒットしない可能性は書き添えておく。
■オンラインゲームのデザインのむずかしさ
ゲームデザイン自体に、収益構造が発生するので、
ゲームデザインと、収益モデルをひとつのあたまで考える必要がある。
これがばらばらだと、失敗する傾向にある。
オンラインゲームは、優秀なプロデューサーの存在が不可欠。
プロデューサーの役割は、ゲームデザインと収益モデルを、
ゲームが面白く、かつ儲かる、かつ運営がやりやすい、という三位一体バランスを
とることと定義しておく。
■終わりに 納得感の熟成
つらつらメモをかいたが、最終的には、関係者全員の納得感をえながらものを
つくっていけるような開発プロセスづくりが大切だと思う。
スポンサー、創り手、売り手、遊び手をふくめた納得感をすすめる方法を、
不断にずっとかんがえることをしていくのが、
おもしろくないものを無理やり売る、創ると関係者はくさある。
合理性のない作業をすることもおなじ。
もちろん、ヒットするコンテンツづくりは、霧の中をさまようようなものなので、
全員が完全に納得できることはありえないし、我慢も必要である。
そういうことへのケアもふくめて、いかにへらせるかが、大事だと。
自社がどの程度できているが、現状かんがえるとはお寒い限りだが、
これを一歩一歩すすめて、開発の勝ち方を探求していこう。