硫黄島からの手紙
よかった。
硫黄島を題材にした時点で、よく、
さらに、ドラマとしての味付け加減が、よく、
戦闘シーンもよく、
渡辺謙がよかった。
日米双方どちらに肩入れすることなく、人間のよさや、
弱さ、愚かさを扱っている点も、すっごくよかった。
渡辺謙の淡々として自然な演技には、
極限状況における、任務遂行の葛藤(愛する家族を守るために
命をかけるのだけど、愛する家族ゆえに命を惜しむ)
について深く考えさせられた。
栗林中将と、部下との確執は、あらゆる組織において
古今東西普遍におこるものであろう。
栗林中将は、
自分に与えられた任務を理解し、
その任務をとげるのに必要な能力を持ち、
信念を持ってやりとげた、ということにつきる。
理解できない(あるいはしない)ゆえに、
任務遂行に必要な能力がなきゆえに、
そして、心弱きゆえに、
この映画の中の、中村獅童みたいになる
人間は実に多い。(くわしくは映画をみてくださいませ。。)
というより、人生の場面において、そうならなかった
人のほうが少ないのではないかと思う。
(私もしょっちゅうなっている。。。)
結果に対して性急になることは、一見勇ましいし、
後先考えず突撃する、自決する、
っていうほうが、男としての生き様だといわれた場合、
そっちに流れるのが圧倒的多数だと思う。
それは、ある種の自暴自棄との裏返しである。
ましてや、戦争、ましてや圧倒的に不利という
極限状況の中で、一日でも長く防衛するという、
どっちにしても最終的には敗北が待っているという
任務を遂行することは本当に難しい。
それをやりとげた、栗林中将は、能力と品格を兼備した器量人であったのだろう。
能力と品格を兼備した器量人が権力を行使すれば、
そもそも硫黄島のような戦いになることはない。
皮肉なことに、権力の中枢は、悪貨が良貨を駆逐するがごとく、
かえって能力と品格ゆえに到達が難しくなるという性質をもっている。
能力と品格ある器量人を権力者としてもてた社会や組織は幸福なのだろう。
この映画で初めて知ったのが、西中佐。
伊原剛志の演じる西中佐は、かっこよかった。
そもそも、軍服からして、一人だけサスペンダー、
襟を立てた上、絞りのはいったシャツ、スリムなパンツスタイル。
めちゃくちゃかっこよかった。
その生き様、死に様ともにまさに、男の中の男である。
女蕩しだったのも、さもありなん。
映画化にあたっての脚色かとおもいきや、
本当にかっこいい男だったようだ。。。
きっと陸軍の中では、嫌われていたのだろう。
最前線の硫黄島に配属されてしまうあたり、男の嫉妬は恐ろしい。
二宮和成の演じる兵隊さんは、
言葉遣いや話し方、表情が今風すぎて、若干違和感があった。
もうすこし、普通の役者さんでもよかったんじゃないかなあと思ったり。。。
この映画みていて、ほんとうに自分の伝えたいメッセージは、
力を持ってからつたえなくちゃいけないんだなあ、と強く思った。
クリント・イーストウッドやスピルバーグだからこそ、
自分の伝えたいメッセージを、より多くの人に伝えることが出来る。
追伸:どんな理由であれ、わんわんをいじめるやつは最低だ。
あの憲兵め。。
ジョーズやETや、ダーティーハリーをつくる中、きっとそのつどそのつど
つくりたいものだっただろうし、挑戦があって、作る喜びはあったのだと思う。
でも、本当につくりたいもの、本当につたえたいものっていうのは
ずっと持ち続けていて、それを問うタイミングをうかがっていたような
気がしてならない。
そうして、今本当にメッセージ性の強い作品を、その獲得してきた
力によって、作り出すことが出き、より多くの人につたえることができる。
もちろん、力がなくても、自分のメッセージを伝えるのは可能だし、
場合によっては多くの人に伝わることもあるだろう。
でも、確実に意図を反映するには、力を持たなくてはならないってすごく思う。
毎日毎日挑戦しようと改めて意を強くしました。。。
というわけで、夜中みて朝方書いているのでまとまりのないエントリーだけど、
ブログだから、OK!
父親たちの星条旗も見に行こう、と思いました。